2010年04月02日

高速道路の上限設定にあたり

確かに日本の高速道路料金は高すぎると思う。しかしそれが前提となって定着し、経済や生活が回っていたのだから、今さらそれを覆し、大幅値下げするのが本当に良いのだろうか。

鉄道やフェリーなどの公共交通機関への影響についても、色々な意見がある。瀬戸大橋ができた時点で宇高フェリーなど並行するフェリーの役割は終わっていた、そのために高い金と技術をつぎ込んで橋を作ったのではないのか、と言われると、それも正論かな、という気もする。情緒的には残って欲しいと思う。しかし、瀬戸大橋ができる前は大体は宇高連絡船で四国へ渡っていた私自身、あの橋が出来てから、瀬戸内海を船で渡った記憶がない。今回の廃止騒ぎで、そうか、それなら次回は一度乗ってみようかと思ったのだが、この廃止騒ぎの報道が無ければもう一生乗らなかったかもしれない。

何はともあれ、ひとまず、一部区間の無料化と、上限料金の設定ということで、民主党の公約であった高速無料化が実施されるようだ。けれども私は、上限料金の設定には大きな疑問を感じている。

せっかく遠くへ行くほど高いという原則が確立されているのに、これでは長距離の移動ほど自動車への移行を促すではないか。自動車は確かに長距離移動にも便利な乗り物ではあるが、私はむしろ逆にすべきだと思う。自分自身の運転経験から考えても、長距離の運転は疲れるし、結構しんどい。眠くもなる。長距離移動は公共交通機関で行い、可能なら行った先でレンタカーを借りればその方が楽だ。そして、自動車をそういう形を中心に利用することは、当然ながら環境への負荷という面でもより優れている。それが、一人や二人でのドライブでも飛行機や鉄道より安くなったからといって、長距離移動を車へと移行させるのは、二酸化炭素排出量と交通事故の両方を増加させるような気がしてならない。

車は便利である。大都市を除けば、日常生活圏での移動に、所要時間の面でも快適さの面でも、車に敵うものはない。今さら車の便利さを否定しても仕方ない。大都市圏以外では、通勤にしても、「徒歩+バス+鉄道+徒歩」と「車でのドアツードア」を比べると、所要時間でも交通費でも、後者が前者の半分ぐらいで済んだりすることが珍しくない。もちろん、車そのものの購入費用や車検や保険などの維持費を除いての話である。しかし、地方では車を持っているのは、もう当然のことなのだ。毎日使わない人でも、何かの時に無いと不便だから、やはり持っている。だから、今さら車に乗るなと言っても相手にされない。車がある前提で言えば、車で行った方が安くて速くて楽なのである。自家用車の保有は、文明発展のたまものであり、必然的帰結の一つである。

だからこそ、国民の生活水準を落とさずに、車の便利さを享受しつつ、交通弱者のために必要な公共交通機関を守り、環境悪化を防ぐという発想で考えたい。そうすると、果たして現在の方向が正しいだろうか。

もし私が独裁政治家で、自分が自由に決められるのならば、こうしたい。今の高速料金は確かに高すぎるので、全体的に値下げはする。しかし、距離に比例する料金体系は堅持する。そして、空港や駅、高速バスターミナルなどにおけるパーク・アンド・ライド施設を充実させ、できるならば、高速料金値下げに使おうとしているお金は、駐車料金の値下げに使う。そして、長距離移動における公共交通機関の利用を促進する。事業者には、新幹線や高速バスなどで利益がしっかり出るようにしてあげる。そしてしっかり利益を出している事業者には、高校生や高齢者などの交通弱者が最低限必要な地方のローカル輸送も合わせて維持していただく。

しかし、現在発表されているような政策を実行すれば、運転手一人しか乗っていない乗用車やトラックが今以上に長距離を走りまわることになり、それによって排気ガスも交通事故も増加し、他方でフェリーや鉄道・バスのローカル線の廃止が加速度的に進行するような気がしてならない。
posted by 東西高低 at 03:59| Comment(4) | TrackBack(0) | 道路交通 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月31日

成田空港と総武・房総の特急

今夏、成田空港への新しいアクセス鉄道が開業する。京成電鉄による運行で、日暮里〜空港第2ビルが最速36分だそうだ。そのこともあってか、JRは成田エクスプレスを新型車両に取り替えている。たまたま取り替え時期に来たのかもしれないが、これ以上のスピードアップが望めないので、車両のグレードを上げることで、京成への乗客流出を最小限にしようという戦略でもあるだろう。

京成は、東京側の駅が日暮里と京成上野しかなく、各方面からの連絡は必ずしもスムーズではない。対するJRは、大船、大宮、高尾といったところまでの直通ネットワークが売りの一つで、今後もこれを発展させられる点は、強みだろう。

成田空港から飛び立つ人にも色々な人がいるだろうが、やはり多いのは、大きな荷物をかかえた海外旅行客である。そうなると、所要時間は必ずしも重要な要素ではない。午前中の便で飛び立つ人なら、少しでも速くて確実な方法を取りたいだろうが、長いフライトで成田に疲れて着いた後の帰宅の足としては、速いよりは、乗換が少なく楽な方法を選びたいという人も多いだろう。そういう人にJRは便利だ。渋谷・新宿・池袋など西側主要ターミナル駅に乗り換え無しということの恩恵を受ける人は数多い。

ただ、JRの成田エクスプレスは、これら各駅への所要時間という面では失格だ。これで高い特急料金を取るのか、とも思う。ご存知の通り、東京から新宿までは、中央線が最短距離なのに、成田エクスプレスは山手線をぐるりと半周してたどりつく。池袋に至っては半周以上だ。実際、池袋で成田エクスプレスにタッチの差で乗り遅れた場合、山手線か丸ノ内線で東京駅へ急げば、同じ列車に乗れる可能性がある。荷物が多いと無理かもしれないが。

ダイヤが詰まっていて無理なことは承知の上だが、成田エクスプレスを錦糸町停車にして、ここで東京・横浜方面と分割し、他方を御茶ノ水経由で新宿へ乗り入れできないものかと思う。現在、このルートの特急は、千葉発着の中央線特急あずさが1往復と、銚子発新宿行の特急しおさいが片道1本だけ走っている。物理的・構造的には可能ということである。ラッシュ時は無理だろうが、それ以外の時間だけでも何とかならないものか、そして、そうするのなら、甲府特急のかいじと一体化できないか、などと夢想してしまうのだが。(但しそうすると、渋谷と池袋をどうするかの問題は出るが。)

それと関連してだが、総武快速線も、成田エクスプレスのおかげでダイヤがいっぱいで、そのため、房総特急が京葉線に追い出されて久しい。昔は房総特急も総武線経由であった。今、房総特急が非常に低調で、どんどん減便している。南房総の過疎化もあろうが、高速バスとの競争に負けているのは明らかだ。しかし私は、加えて京葉線東京駅の立地が問題だと思う。南房総に行こうかと思った時に、あの東京駅の長い乗り換えを思うだけでうんざりして、列車という選択肢をはずす人も、きっとそれなりにいるだろうと思う。総武・横須賀線の東京駅も地下深くて便利とは言えないが、京葉線よりはずっとマシだ。ただ、房総特急を横須賀線にまで延長しても、アクアラインとまともに競合してしまい、それこそ意味がない。そういう意味でも、房総特急も、総武快速線経由で新宿に乗り入れさせられれば、と思う。今の過密ダイヤでは無理なのだろうとは思うが、通勤電車の性能向上や、少子化・都心回帰による乗客数の打ち止めもあるだろう。過去に無理だったものを、いつまでも無理と思わず、再検討できないものだろうか。

総武・房総方面は、東京に近いのに、高速輸送体系から取り残されている感が強い。最終列車にしても、成田・成東・大原・君津よりも先は、東京駅発22時が最後である。これは名古屋と一緒であり、越後湯沢や長野よりも早い。
posted by 東西高低 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 列車ダイヤ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月22日

北陸新幹線と上越駅

北陸新幹線・長野〜金沢間の工事が進んでいる。日本中どんどん、新幹線網が広がっている。便利になるが、旅の楽しみが減っていく。どちらも時代の流れである。

こういう大プロジェクトでは、沿線各地域にも甚大な影響を及ぼす。だから各自治体も色々な要求を出してくる。その一つに、新潟県の、(仮称)上越駅に全列車停車という要求があるそうだ。この話を聞いて、よくそこまで言うものだと驚いた人も多いだろう。

現在、上越新幹線には1往復だけ、東京〜新潟ノンストップというのがある。県下第二の都市、長岡を通過するのはこの1往復だけである。新潟県知事がこの列車に対して文句を言わないのは、同じ県内の新潟が終着であり、県庁所在地新潟市にメリットがある列車だからであろう。長岡と新潟が別の県であったならば、そして今の知事が「長岡県知事」であったならば、彼はこれに猛然と抗議したに違いない。

上越市は、長岡に比べても人口規模が小さく、さほどの乗降客は見込めないであろう。しかし、上越市の前後も人口は稀薄であるから、北陸新幹線の水準では主要駅になることもわかる。それに、長野〜富山がノンストップというのは、ちょっと長いかもしれない。しかし、新横浜〜名古屋や、「はやて」の大宮〜仙台に比べればはるかに短い。そう考えると、全列車を停めるのは過分である。素人でもわかりそうなことで、JR東日本の社長も、当然のごとく拒否している。

どうしても埒が明かないのであれば、開業暫定ダイヤでとりあえず全列車停車にして、その代わり「最低乗降客数保証」を求めてはどうだろうか。上越駅の乗降客数目標を、全列車停車にふさわしい水準に設定し、それが達成できなければ、次のダイヤ改正で、通過列車を設けたらいい。
posted by 東西高低 at 03:08| Comment(0) | TrackBack(2) | 高速鉄道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月19日

茨城空港

計画や需要予測がずさんだったのも事実だが、それにしてもタイミングが悪い時期に開港するものだと思う。2010年3月に、国内線就航ゼロという状態で開港する茨城空港(現・百里基地)である。何しろ定期便は一日1便のソウル(仁川)行きだけだというのだから、話にならない。どんなみじめな開港記念式典になるのかと心配になる。

私は個人的には、この空港は、首都圏第三空港としての可能性がなくはないと思う。そういう意味では、静岡や福島よりは、まだやりようがあるのではないか。静岡と福島の中途半端な立地は、首都圏第三空港としては、もはや使えない。茨城も東京を名乗るにはちょっと遠すぎるものの、ギリギリ可能性がある気がする。

欧州で言うと、パリの第三空港であるボヴェ、フランクフルトを名乗るハーン、そしてブリュッセル南を名乗るシャルルロワ、といったあたりが、相当すると思う。いずれも欧州の人には知られている、格安航空会社専用といっていいような空港である。どこも鉄道の連絡などはない。車で来る人が多いようだが、一応連絡バスもある。例えばパリのボヴェは、パリ市内までバスで1時間半だそうである。一般の路線バスではなく、格安航空会社の専用バスのような感じらしい。バス代も、1時間半も乗る割には安い。時間はかかるけれども、とにかく安くパリに行ける。そういう需要をしっかりつかんでいる。忙しいビジネスマンは、当然シャルルドゴールを使うが、そこはおのずと住み分けができている感じである。さらには、航空運賃がここまで安いと、それが新たな需要を生み出す。しばらく旅行していないからどこか行こうかと思って、格安航空会社のサイトを検索する。往復とも安くて都合のいい便が取れる。ならちょっとパリにでも行ってくるか、ということになる。かくして格安でも搭乗率が良いから、格安航空会社の業績は、大手よりもむしろ良い。空港もそこそこの利用者で活気がある。

全てがそのようにうまく行っているわけではない。しかし、欧州ではそういう成功例がいくつもある。東京ほどの都市だ。やりようによって、できないことはないと思う。

しかしこの空港は、スタートであまりに大きくつまづいてしまっている。未曾有の不景気にインフルエンザが加わり、旅行需要自体が大きく減退している。しかもJALが倒産同然の騒ぎの最中で、新路線どころではない。加えて羽田と成田の拡張が進みつつあり、航空会社もそちらへの路線確保が最優先事項だ。そうなると、茨城など眼中にもない。これが10年前だったら、多分違っていただろう。当時はまだ、地方空港への新路線開設も盛んであったし、羽田や成田は枠がいっぱいで、これ以上便数を増やしたくても増やせなかった。そういう時に開港すれば、とりあえずいくつかの路線は飛んだかもしれない。茨城というと、外から大々的に人を集められる観光地はないが、つくばや日立などがあり、ビジネス需要も見込めるだろう。

この空港の建設を肯定するわけではないが、運が悪かったという面もあると思う。計画から開業までの時間が長くかかる交通施設は、作っている間に世間の状況が変わってしまうから大変だ。青函トンネルなどもそうだし、陸上でも、お金をかけてトンネルを掘ったり橋を作ったりして、結局鉄道が走らずに終わった路線などもいくつもある。それらが、ずさんな需要予測や政治的かけひきの道具として使われた結果という側面もあるが、全てがそうでもないだろう。

茨城空港に関して言えば、微妙なところだが、欧州の幾多の例を見る限り、何とかやりようもあるように思える。しかし、とりあえず開港時にこのありさまでは、悪いイメージが定着してしまい、今後の発展も厳しいかもしれない。2〜3年で撤退路線が出てくるとしても、とりあえず開港時にそこそこの路線が飛んでくれていれば、空港アクセスのバス路線なども色々と開設されるだろう。しかし、1日1便では、バスなどどうするのだろうか。バスの便もない空港ということで、利用しづらい空港という印象が定着してしまうと、さらなる路線誘致にも影響してくるだろう。最初はやはり肝心だ。そういう意味では最悪な時期に開港する、不運な空港である。
posted by 東西高低 at 08:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 空港 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月06日

JAL402便ロンドン発東京行

11月某日のJAL402便、ロンドン・ヒースロー発東京成田行き。エコノミークラスの搭乗率は、ざっと見たところ、3割を切っている程度で、大型B777の客席は寥々としていた。閑散期に不景気が加わっているとはいえ、JALの不人気がここまでとは思わなかった。東京・ロンドン間は、ANA、BA、ヴァージンと、他に3社が直行便を飛ばしている。それだけ需要のある区間であると同時に、競争も激しいと言える。

お客としては、空いているのは有難い。ましてや長距離便である。これだけガラガラだと横になって眠れるので、非常に有難い。しかしこれでは本当に、JALの行く末が案じられるとは思う。

その空いている長距離便で、以前と比べてサービスが落ちてしまったのは、本当に残念であった。人によっては些細なことと思うだろう。それは食事の出し方である。以前は、まずドリンクとおつまみが配られ、それから20分ぐらいして、食事が配られていた。それが今回は、一度に持ってきたのだ。

1時間や2時間の短距離便ならともかく、12時間もかかる長距離便で、しかも夜の出発となれば、普通の乗客であれば、ゆっくりとお酒や食事を楽しみたいと思うだろう。大体JALは以前から、他社と比べても、お客が食事やお酒をゆっくり楽しむペースを配慮せず、仕事をする側のペースで食事や飲み物が提供されていた傾向にあった。それでもまだ、最初におつまみとドリンクを配りに来ていた頃はマシだった。少なくとも、ゆっくりビールを飲み、適度にいい気分になった頃に食事が運ばれてきたからだ。しかし、今回はそれが一度にまとめて配られたのだ。これは恐らく、コストダウン対策の一つなのだろうが、こんなことで節約できるコストは僅かで、それ以上にお客離れが進まないのか、その方が心配である。

私の場合、最初におつまみとドリンクを配りに来る時には、ビールをもらうことが多い。そして食事にはワイン。ところが、これが一度に配られるとなると、ビールをやめてワインだけにすることになる。一度に両方は多すぎるからだ。ビールをゆっくり飲んでいては、メインのホットミールが冷めてしまう。しかもJALは、他社よりも早いペースで(特に空いていればいるほど)、食事の最中にコーヒーや紅茶をしきりに注ぎに回ってくる。混んでいても空いていても、お酒を飲みながらゆっくり食事をする平均的な乗客のペースに配慮して、いいタイミングでコーヒーを配りにきてくれる、グルメ大国フランスの航空会社とは、えらい違いである。このことは以前から感じていたが、その上に食前酒と食事まで一度に持ってこられるようになってしまった。そうすると、JALのことだから、食事が終わってからゆっくりコーヒーを、なんて思っても、もっと早くからコーヒーを注ぎに回ってくるのはわかっている。あれは何となく急いで食べないとという気持ちにさせるのである。後からボタンを押して呼んでコーヒーを頼むこともできるのはわかっていても、どうしても気分的に急いで食事をしてしまうのだ。同じように思っている乗客も多いと思う。JAL側からすれば、そうしてゆっくりと食事をさせないことで、私に関してはビール1本分の節約になったことになる。

次回からやっぱりAFにしようか、でもAFは人気が高いから混んでいて横になれない可能性が高い。それならJALの方がいいか。そんな事を考える。そんな風にしてしかJALが選ばれないのもどうかと思う。

この時は、JAL全社員の冬のボーナスゼロが発表された後で、客室乗務員の士気も下がっていたのだろうとは思う。しかし、大変なのはJALだけじゃなくて、乗っている乗客の中にも同じような、いやもっと悪い境遇の人も沢山いるんですよ、と、ひとこと言いたくなるような、そんなフライト体験であった。別にレストランではないのだから、そこまで最上のサービスを求めるつもりはないが、しかし、コストをほとんどかけず、ちょっとした心遣いで乗客の気持ちを良くして、次も乗りたいと思わせることができれば、それが長い目で見てもプラスになるだろうと思う。しかし、今のJALには、それを求めるのも無理なのであろうか。
ラベル:JAL
posted by 東西高低 at 19:19| Comment(1) | TrackBack(0) | フライト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月14日

リクエスト・ストップ

数年前、北海道は宗谷本線の鈍行列車に乗った時につくづく思ったのだが、日本は何故、リクエスト・ストップを実施しないのだろう。

これはイギリスのローカル線の時刻表の一部である。ローカル線といっても、この時刻表掲載区間の場合は、そこまでの閑散線区ではなく、複線だし、列車も1時間に1〜2本は走っている。列車は気動車で、3両編成ぐらいだったと思う。かつてはそれなりの輸送量があったのだろうが、イギリスもロンドンなど大都市を除くと車社会で、鉄道の利用者は減っている。日本とそっくりの現象だなと思うことも良くある。

stratford.gif

この時刻表で、08x09のように、8時9分の時刻を表していながら、その間に x 印が入っている所が、いわゆるリクエスト・ストップで、乗降客が少ない小駅である。わざわざ停車しても、利用者ゼロということも珍しくない駅である。そこで、下車する客は、事前に乗務員に知らせ、乗車する客はホームから列車に向かって何らかの方法で知らせる。それらの知らせがなければ列車は通過するのである。

自動車にしても鉄道にしても、車両というものは、完全に停車している車両が動き出す時に動力を一番消費する。こうも地球温暖化防止が叫ばれる現代において、乗降客が皆無の駅に、大きな鉄道車両がわざわざ一つ一つ停車することは、無駄が多すぎると思う。かといって、滅多に乗降客がないからという理由で通過扱いにしては、たまに利用しようという人も利用できなくなり、結果として利用者減に拍車がかかる。であれば、鉄道もバス並みに、利用者がいる時だけ停車したらいいではないか。バスのように簡単に導入できないという声もあるかもしれないが、ちょっと知恵を絞ればやってできないことはないだろうし、現に欧州ではスペインなど他の国でもローカル線を中心に実施されている。

宗谷本線の名寄〜稚内間の場合、普通列車は1日5往復しかない。それでも実際に乗ってみると、多くの駅で、乗降客がゼロである。だから需要の実態に合わせ、普通列車でも一部の列車は一部の小さい駅を通過するダイヤになっている。しかし、もし停車してくれるのならば、毎日ではなくても、たまには利用したいという人も、いないわけではないだろう。

今はダイヤ改正で変わってしまったようだが、私が乗った数年前は、午後に幌延で稚内行と名寄方面行の普通列車が行き違うダイヤがあった。名寄行が先に到着しており、稚内行が着くと入れ違いに名寄行が発車する。その稚内行は、普通列車でも通過する駅がいくつもあるので、もし名寄方面からそれら通過する駅に行こうと思った場合は、幌延で急いで橋を渡って反対ホームへ行き、戻る列車に乗ることで、可能は可能である。しかし、実際そんな客がいるとは思えない、と、私も思っていた。だが、乗り合わせた高校生の会話を聞いていたら「こちらの列車が遅れた時は間に合わないことがある」とか何とか、実際そういう利用の仕方をするケースについて話しているのであった。

宗谷本線あたりの普通列車であれば、朝夕通勤通学の時間帯で、ほぼ確実に毎日利用者がいる駅を除いて、単線の駅は全て、リクエスト・ストップで事足りるように思う。旭川〜名寄の快速は現状維持として、それ以外の普通列車は全てそうすることで、無駄な停車が減り、なおかつ利便性も増す。所要時間については、平均的な乗降客の有無から割り出して多少余裕を持たせれば、単線区間だから、交換駅での時間調整もできるわけだし、そこまでダイヤを乱すこともないであろう。日本人は律儀すぎて、時刻表を細かく定めすぎて、各駅を秒単位までピッタリの時刻で発車させようとする。その心意気は結構なのだが、そういった性癖ゆえに、リクエスト・ストップが馴染まないのだろうか、と思うと、それもまたどうかと思うのである。
posted by 東西高低 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ローカル線 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月25日

発車メロディーとかいう騒音を撒き散らしているJR東日本

いつごろからだろうか、山手線などに乗ると、駅ごとに、発車ベルの代わりにやかましい騒音を聞かされるようになった。あれは音楽とかメロディーなどと言ったものではない。騒音である。それは今、JR東日本の全域に波及している。首都圏だけでも十分やかましいのに、どこだったか、青森あたりで同じ騒音を聞いた時には、心底から愕然とし、旅の雰囲気がぶち壊されたとさえ感じた。

これは、発車メロディーとか駅メロディーなどと呼ばれているらしい。名前はどうでも良いが、結論から言うと、即、全廃してほしいと思う。

昔は、ジリジリジリという本物のベルであった。それが、プルプルプルという電子音に取って代わった。そこまでは、感じ方は人それぞれで良い。私は個人的に昔のベルをやかましいとは感じなかったが、電子音になって耳障りが良くなったという声も多かったと思うし、それは理解できる。

翻って現在のメロディーは、多くの種類があり、駅によってはその駅だけのものもあるらしいが、大半は不快な騒音である。海外から日本に戻ってこの騒音を耳にするたびに、日本は依然として何たる後進国なんだろうと思う。環境が違う海外と一概に比較はできないのはわかるが、駅のアナウンスといい、東京はとにかくやかましすぎる。だから東京に一日いて、電車を利用していくつか用事を足すと、必要以上に疲れ、ストレスがたまる。同じ大都市でもロンドンやパリは、ここまでのことはない。パリの地下鉄も、別種の騒音はあるが、基本的に駅は静かで、電車は整然と発着している。東京は永遠にこうはならないのだろうかと考えると、ため息が出る。

一番やかましいのはJR東日本である。そうでなくても騒音の多い大都会で、どうしてさらに騒音を増やして平然としていられるのだろう。当事者のその神経を疑う。注意喚起、事故防止の観点からも逆効果ではないか。東京にずっといる人達は、騒音に慣れすぎてしまって、逆に感じなくなっているのか。現にそうと思われる光景も時折見かける。マイクで大声で「危ないですからお下がり下さい」と怒鳴られていても、その危ない本人は携帯電話に夢中で気づいていない、といったようなものだ。本人にも問題はあるが、基本的に音が多すぎるからいけないのだと思う。毎日何百回と聞かされる駅員も気の毒で、それらのストレスの蓄積で事故が増えるのでは、と余計な心配もしてしまう。

一歩譲って、色々な音を創造して駅ごとに違う音色をお客にも楽しんでもらおうというその企画精神を理解するとしても、発車の合図にメロディーを使ってはいけない。列車の接近を知らせる警告音ならば、まあメロディーでも許せないことはない。しかし発車ベルへの採用は絶対にやめるべきである。何故か。発車ベルは、鳴らす長さが一定ではないからだ。メロディーを使う以上は、どんなに短くても、楽譜での1小節か2小節分の長さがあり、そこで一つの完結を見るわけである。好きな音楽を聴いていれば勿論だが、嫌いな音楽であっても、音楽というものは、途中でプツリと切られれば不快なものである。メロディーの2小節目の途中でプツリと切れてドアが閉まる。これが毎日あちこちの駅で何十回、何百回と繰り返されている。これを騒音ではないと言う人が居る方が不思議で、私には理解できないが、よほど音感が鈍いか、騒音社会に慣れて麻痺しているかのどちらかだろうと思っている。それなら常に一定の長さまで鳴るようにすれば、などと馬鹿な反論をする人がいたが、列車が遅れている時は、客の乗降が済めば、発車ベルなど1秒で切ってさっさとドアを閉めて発車させるのが車掌の仕事である。

先日、倉敷から岡山まで山陽本線の電車に乗った。倉敷では列車が近づいてくると、「瀬戸の花嫁」の音楽が8小節流れた。そして列車が入ってきた。毎日通勤している人は、「瀬戸の花嫁」をこうして毎日ずっと聞かされるので、嫌いな人もいるかもしれないが、メロディーもこのように使えばまだ、少なくとも途中でプツンと切られる不快さはないし、旅行者がその土地を感じることもできるので、肯定的な評価も理解はできる。それこそ、最近は減ったが、長距離列車が始発駅を発車した時などに、車掌が最初に鳴らす「汽笛一斉」のオルゴールなども、同様である。

しかし、現在JR東日本の駅の発車の合図に使われている音楽は、これらとは似ても似つかぬ不快なものであることに、当事者は早く気づいて欲しい。しかも、その山手線で聞かされた同じものを、秋田や青森へ旅行した時にも聞かされる。JR東日本という会社が、同じメロディーを管内全域で使うことで、コーポレート・アイデンティティーを出しているつもりならば、その発想自体、非常に稚拙かつ貧困だと言わざるを得ない。秋田や青森の人が、東京と同じ下品なメロディーが流れることで、地元が都会並みになったと感じ入っているのならば(間違ってもそれはないと信じたいが)、そのレベルの低さに唖然とせざるを得ない。

JR東日本を真似てかどうか、他の鉄道会社でも普及が進んでいると聞いたこともあるが、くれぐれも音楽性のあるメロディーを発車ベルの代わりに使うといった野蛮なことは、やめていただきたいと思う。
posted by 東西高低 at 00:00| Comment(33) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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