2009年06月25日

発車メロディーとかいう騒音を撒き散らしているJR東日本

いつごろからだろうか、山手線などに乗ると、駅ごとに、発車ベルの代わりにやかましい騒音を聞かされるようになった。あれは音楽とかメロディーなどと言ったものではない。騒音である。それは今、JR東日本の全域に波及している。首都圏だけでも十分やかましいのに、どこだったか、青森あたりで同じ騒音を聞いた時には、心底から愕然とし、旅の雰囲気がぶち壊されたとさえ感じた。

これは、発車メロディーとか駅メロディーなどと呼ばれているらしい。名前はどうでも良いが、結論から言うと、即、全廃してほしいと思う。

昔は、ジリジリジリという本物のベルであった。それが、プルプルプルという電子音に取って代わった。そこまでは、感じ方は人それぞれで良い。私は個人的に昔のベルをやかましいとは感じなかったが、電子音になって耳障りが良くなったという声も多かったと思うし、それは理解できる。

翻って現在のメロディーは、多くの種類があり、駅によってはその駅だけのものもあるらしいが、大半は不快な騒音である。海外から日本に戻ってこの騒音を耳にするたびに、日本は依然として何たる後進国なんだろうと思う。環境が違う海外と一概に比較はできないのはわかるが、駅のアナウンスといい、東京はとにかくやかましすぎる。だから東京に一日いて、電車を利用していくつか用事を足すと、必要以上に疲れ、ストレスがたまる。同じ大都市でもロンドンやパリは、ここまでのことはない。パリの地下鉄も、別種の騒音はあるが、基本的に駅は静かで、電車は整然と発着している。東京は永遠にこうはならないのだろうかと考えると、ため息が出る。

一番やかましいのはJR東日本である。そうでなくても騒音の多い大都会で、どうしてさらに騒音を増やして平然としていられるのだろう。当事者のその神経を疑う。注意喚起、事故防止の観点からも逆効果ではないか。東京にずっといる人達は、騒音に慣れすぎてしまって、逆に感じなくなっているのか。現にそうと思われる光景も時折見かける。マイクで大声で「危ないですからお下がり下さい」と怒鳴られていても、その危ない本人は携帯電話に夢中で気づいていない、といったようなものだ。本人にも問題はあるが、基本的に音が多すぎるからいけないのだと思う。毎日何百回と聞かされる駅員も気の毒で、それらのストレスの蓄積で事故が増えるのでは、と余計な心配もしてしまう。

一歩譲って、色々な音を創造して駅ごとに違う音色をお客にも楽しんでもらおうというその企画精神を理解するとしても、発車の合図にメロディーを使ってはいけない。列車の接近を知らせる警告音ならば、まあメロディーでも許せないことはない。しかし発車ベルへの採用は絶対にやめるべきである。何故か。発車ベルは、鳴らす長さが一定ではないからだ。メロディーを使う以上は、どんなに短くても、楽譜での1小節か2小節分の長さがあり、そこで一つの完結を見るわけである。好きな音楽を聴いていれば勿論だが、嫌いな音楽であっても、音楽というものは、途中でプツリと切られれば不快なものである。メロディーの2小節目の途中でプツリと切れてドアが閉まる。これが毎日あちこちの駅で何十回、何百回と繰り返されている。これを騒音ではないと言う人が居る方が不思議で、私には理解できないが、よほど音感が鈍いか、騒音社会に慣れて麻痺しているかのどちらかだろうと思っている。それなら常に一定の長さまで鳴るようにすれば、などと馬鹿な反論をする人がいたが、列車が遅れている時は、客の乗降が済めば、発車ベルなど1秒で切ってさっさとドアを閉めて発車させるのが車掌の仕事である。

先日、倉敷から岡山まで山陽本線の電車に乗った。倉敷では列車が近づいてくると、「瀬戸の花嫁」の音楽が8小節流れた。そして列車が入ってきた。毎日通勤している人は、「瀬戸の花嫁」をこうして毎日ずっと聞かされるので、嫌いな人もいるかもしれないが、メロディーもこのように使えばまだ、少なくとも途中でプツンと切られる不快さはないし、旅行者がその土地を感じることもできるので、肯定的な評価も理解はできる。それこそ、最近は減ったが、長距離列車が始発駅を発車した時などに、車掌が最初に鳴らす「汽笛一斉」のオルゴールなども、同様である。

しかし、現在JR東日本の駅の発車の合図に使われている音楽は、これらとは似ても似つかぬ不快なものであることに、当事者は早く気づいて欲しい。しかも、その山手線で聞かされた同じものを、秋田や青森へ旅行した時にも聞かされる。JR東日本という会社が、同じメロディーを管内全域で使うことで、コーポレート・アイデンティティーを出しているつもりならば、その発想自体、非常に稚拙かつ貧困だと言わざるを得ない。秋田や青森の人が、東京と同じ下品なメロディーが流れることで、地元が都会並みになったと感じ入っているのならば(間違ってもそれはないと信じたいが)、そのレベルの低さに唖然とせざるを得ない。

JR東日本を真似てかどうか、他の鉄道会社でも普及が進んでいると聞いたこともあるが、くれぐれも音楽性のあるメロディーを発車ベルの代わりに使うといった野蛮なことは、やめていただきたいと思う。
posted by 東西高低 at 00:00| Comment(33) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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